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『山田孝之のカンヌ映画祭』第7話の感想

おはようございます。オガサワラです。

『山田孝之のカンヌ映画祭』第7話を視聴したので感想を。

端的に言ってここまで追ってきて良かったと思える回でした。

ネタバレありの感想記事なので気にされる方はご注意ください。

「山田孝之 覚醒する」

「本当にカンヌにいきたいなら先ず私とやってみたら?」と山田孝之さんに打診する河瀬監督。

そして実際に山田孝之さん河瀬監督の作品に出演することに、撮影の現場には山下監督と芦田愛菜ちゃんも同行します。

役と俳優の境目をなくそうとする河瀬監督、そして山田孝之、泣く。

演じるということがどれだけ精神力を要することなのかが生々しく描かれていると思います。

前半はまるで生傷に塩をぬられるとでもいうような、視聴していてそういうざらざらした感覚に襲われて痺れました。

出来上がった作品というわけでもない、ただ河瀬監督の撮影現場を少し覗いただけなのに…、作品に魂を込めるというのはこういうことか。河瀬監督の言葉の重みが曲りなりにも少しだけ受け止めることができたような…、そんな気持ちになれました。

そして、後半。

「山田孝之 覚醒する」

いよいよ、本格的に映画作りがスタートするのですが、河瀬監督への取り組み方を通じて、自分のやり方は間違っていなかった、と再確認する山田孝之さん。

『穢れの森』に脚本をは必要ないと言い出します。台詞は役と同化した主役の口から勝手に出てくると…、まあかなり無茶苦茶を言っているようですが、その目は真剣そのものです。

芦田愛菜ちゃんがどこまで親殺しの殺人鬼と同化できるのか…、そもそもそれは大丈夫なのか…、と見ていて不安にもなるのですが。

彼女は1人の役者。

小さい女の子、芦田愛菜ちゃんである以前に…、女優、芦田愛菜さん(今後はこう表記します)なんですよね。

演じるということがそういうことであるのなら倫理的にどうだというのは表現に置いては障害にしかならない。

僕自身、まだ映画という文化に親しんで幾分も経っていない時期に映画倫理委員会のR指定に強い反発を示した深作欣二監督に痺れたという経験があります。

当時の記憶が思い出されました。

倫理は確かに大事です。

でも、作り手は自由でなくてはならない。

そして、常に倫理を取り締まる側と作り手側は戦っていかなくてはならない。

どちらが良い悪いではなく、このように拮抗することで作り手が自由に表現したものが世に出せる程度の倫理性を獲得することができるのだろう、と改めてそんな風に思わされます。

ともあれ、山田孝之さんは、まるで水を得た魚のように、かなり破天荒に作品作りに挑もうとします。

脚本なし。

今のところ作品の唯一の手がかりは漫画家、長尾謙一郎さんが描いた絵だけです。

山田孝之さんはこれは絵コンテではないという。

必ずしもこの通りに再現するのではなく、ここから着想を得て映像にしていくのだと…。

明らかに不安そうな山下監督。

そんな山下監督の口をついて出たのは現場が混乱するんじゃないかという言葉。

まさに、その通りだと思います。

でも山田孝之さんは「やる!」と強い意志をみせます。

そんなこんなで、第7話、6話以上に生々しくスリリングな回でした。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

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