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時刻表で旅が出来る人種

こんばんは。オガサワラです。

今週のお題「読書の秋」というわけで、久しくお題に投稿していなかったので、久しぶりに投稿してみたいとー、思いますッ!

いや秋ですね。秋といえば読書、読書と言えば時刻表じゃあないでしょうか。は?と思ったそこのあなた正解です。

僕も、は?って思います。

でもですね時刻表を本として楽しめる人種は確かに存在しています。活字中毒なんて言葉がありますが、こうもなると本好きここに極まるというか普通に病気ですよね。

というわけで、時刻表で旅が出来る人種について、つらつらと書いてみます。

先ず前提として、僕は時刻表を読書できない側の人間です。

そんなこんなで時刻表を読書するのは難易度が高過ぎると思っているわけなのですが、時刻表愛好家の主張をよくよく話を聞いてみると、読書を突き詰めると、そうなるのかも知れないと思わないでもないです。

というのも、活字というのは想像力を刺激されるとよくいわれますが、時刻という情報だけ提示される方が想像の自由度は高そうです。まあ時刻だけだと自由度が高いというより真っ白なキャンパスくらいなもんですが。

とにかく時刻表で読書ができる人からすると抽象度の高さが肝なんでしょうね。

分かりやすく映像と文字で抽象度を比較してみると、りんごという文字だけだと、それがどんなりんごなのか、大きいのか小さいのか、赤いのか青いのかは読み手次第ですが、映像でみせられるとそのあたりのイメージは一発で固定されます。そんなわけで文章は映像よりも想像の入り込む余地があり、その行間を想像力で持って埋めるのが、読書の楽しみ方の1つであることは間違いありません。

そして、その行間を読むを突き詰めていくと、いわゆる小説よりもより抽象度の高い時刻表で旅ができるのでしょう。いやいや、行間を読みすぎだわ。むしろ行間しかねえわと、僕みたいなビギナーからすると思うのですが、時刻表愛好家からすると、そこにはドラマがあるのだそうな。

読書の秋と聞くと、そんな時刻表で旅が出来る人種のことを思い出して、なんだかしみじみしちゃうのですが…、よくよく考えてみると、僕もゲーミングPCのスペックみただけでゲームできるので似たようなもんかも知れない。で、たぶん、なんだかんだで誰でもほぼ数字ってくらい抽象化された情報でも物語を感じることが出来るモノがあったりするもんなのかも知れないなと、そういえば食べ物の原材料をずっと読んでるやつとかもいたなーとか、そんなことを考える秋の夜長です。

そして秋も何もJR時刻表 2018年 12 月号では既に冬の臨時列車情報が掲載されいるんですけどね。

JR時刻表 2018年 12 月号 [雑誌]

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