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格ゲーの敷居と競技性「勝てないからつまらない議論」について

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【出典:『アーケード版 ストリートファイターV』 開発決定 告知ムービー】

こんばんは。オガサワラです。

2019年は『ストリートファイター5』がアーケードで稼働するみたいですね。

コンシューマー版で遊んでいる人間からすると嬉しい限りです。

これまで世に数多の格ゲーが送り出されてきたわけですがストリートファイターシリーズって日本に置いて2D格闘ゲームのデファクトスタンダードだと思うんですよね。

というのも2D格闘ゲームに置けるコマンド入力を昇竜コマンド・波動コマンド(単に昇竜・波動と表現することもある)のようにストリートファイターの代表的な技と、そのコマンドで表すことがあります。

世代が変われば、受け取り方は違うのかも知れませんが今のところ日本で格ゲーをやってる人種であれば波動や昇竜でコマンドが伝わらない人はほとんど居ないのではないかと思います。

そんな格ゲーの事実上の標準を築いたストリートファイターシリーズが満を持してアーケードで遊べるようになるのですから学生の頃ゲーセンに入り浸ったアーケード世代としては期待せざるを得ない。

そんな訳で今回は格ゲーの敷居と競技性について考えていきたいと思います。

格ゲーは敷居が高いのか

ストリートファイターシリーズがデファクトスタンダードである根拠として波動や昇竜がコマンド操作の用語として使われていることを例に挙げましたが、これは既にある程度、格ゲーで遊んだことがある人間、まあざっくりと格ゲーをやる人種に適用されます。

つまり格ゲーやったことがない新規にとっては「波動コマンドと昇コマンドで技がでるよ」なんて説明されたところでなんのこっちゃとなるわけです。

少し前になりますが、ネット上でこんな議論が起こりました。

nlab.itmedia.co.jp

まあ確かに波動コマンドや昇竜コマンドができて当たり前みたいな向きは少なからずあるので敷居は高いと感じるのも分かる気はします。

でもよくよく考えてみると今だからとかじゃなく、元々敷居が高いんですよね。

波動や昇竜のコマンドは格ゲーを遊ぶ上で問題ない程度の精度で入力できますが、最初からそうだった訳ではなく小学生の時にできなかったけれど中学で形になってきてという具合に積み重ねです。

つまり、スポーツなどと同じようになんの練習もなしにいきなり上手にできる筈がない訳です。

そもそも、それが今の時代と噛み合っていないという意見は分かるのですが、技術介入度を下げれば良いという訳でもないのが悩ましいところかと思います。

競技としてのゲーム

なぜ極端に技術介入度を下げるべきではないのか。

その理由はシンプルで格ゲーで飯を食っているプロゲーマーも存在している人間がいるからです。

技術介入度を下げると競技性も低くなるのは必然ですので競技として成り立たないとプロがいなくなります。

ただし、これはあくまでもゲームを競技としてみた時の視点であり、ライトユーザーからすると、そんなの勝手にやってくれ、競技として使われるようなタイトルだけ、しこしことゲームバランス整えてください、となりますよね。

まあここまでくると水掛け論、いつまでも平行線で答えが出ないような気もしますが、こういう議論が起こること自体おもしろいです。

というのもテレビゲームに置ける格闘ゲームやスポーツゲームというのは、本来は誰でもスポーツ選手や格闘家などを気軽に疑似体験できるというのが売りであった筈です。

にも関わらず最近ではスポーツとは、また違う部分で競技性を問われていたりする。

面白い話ですよね。

しかし、ながらこの流れ実は珍しいことでもなく我々は古くから知っています。

将棋やチェス、囲碁なんかも国と国との争い事を抽象化したに過ぎない訳です。

我々はそこに娯楽性を見出し、さらには競技性を持たせようとする。

人間とは複雑怪奇だなーと改めて思わされます。

まとめ

今回は格ゲーについて書きたいことをつらつら書いただけの記事です。途中飛躍しましたが

なにわともあれ僕はeスポーツ推進派なので格ゲーの未来を応援していきたいですね。

人はそこにバットとボールがあれば野球をする、それは野球的な何かかも知れないし、プロ野球選手顔負けのドラマがあるかも知れない。

つまり下手でも上手くてもいいじゃないか! みんなゲーセンでスト5やろうぜ!てことです。