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魔法少女という言葉への抵抗が…。『魔法少女まどか☆マギカ』が僕にもたらしたもの

こんにちは。オガサワラです。

アニメ『魔法少女まどか☆マギカ』といえば、いまや名作アニメとして押しも押されぬ定番作品です。

最近、Amazonプライムビデオに追加されていたので、これを機に『魔法少女まどか☆マギカ』が僕にもたらしたものはいったいなんなのかを考えてみたいと思います。


魔法少女に対する抵抗

『魔法少女まどか☆マギカ』がおもしろい。

『魔法少女まどか☆マギカ』が放送されていた当時、アニメ好きの友人からさんざんおすすめされたことを覚えています。

当時の僕の正直な感想「は? 魔法少女とかキモ!」でした。

いい歳をしたおっさんがなんで魔法少女のアニメなんてみないといけないのか…、と友人の言葉に憤りを覚えたものです。

しかし友人は引きませんでした。

とりあえず3話目まで観ろとのことで、僕の方も仕方なく3話まで我慢してみたら、ただの神アニメでした。

まどマギ事後

ただの神アニメだった『魔法少女まどか☆マギカ』が僕に与えた影響は甚大です。

いい年をしたおっさんが魔法少女ものなんて観ていい筈がない。

当時の僕は、萌えと呼ばれるような文化に対して嫌悪感を抱いていました。

しかし、まどマギ事後…、僕の懐は確実に深くなったといえます。

僕自身は好みではないけれど、その種の文化に対しネガティブな発言はしなくなりました。

いえ、何も言えなくなったと言い換えても良いかもしれません。

これまでの僕の価値観は覆され、いわゆるパラダイムシフトを迎えたのです。

僕の中で、白黒のように、きちんと2つに分けられていた概念が、グレイ。濃いグレイ。白よりのグレイ。グレイにみえなくもないかもしれない。みようによっては黒。などのように混ざりに混ざりぶれぶれになってしまったことにより、何も言えなくなってしまったわけです。

『魔法少女まどか☆マギカ』が面白かった。百合っぽい展開もなんか良いと思ってしまった。

端的に、「もう魔法少女でも魔法処女でも、おもしろけりゃなんでも良いや!」と海よりも深い懐を得て、これまで山脈のごとく連なっていたプライドは盆地のように優しく高低差のないものへと変化したのです。

パラダイムシフトの影響

まどマギ事後…、ここでは《まどマギ事変》とでも呼びましょうか。

とにかく、かの大きな出来事の影響として魔法少女という単語にあまり抵抗がなくなりました。

肉声で魔法少女と口に出すのは、いまだに抵抗がありますが、文面で魔法少女と記すことに対しての抵抗は限りなくゼロへと近づいているといえます。

この記事でもすでに10回以上は魔法少女とキーボードを叩いています。

《まどマギ事変》以前の僕の価値観からすると、これは正気の沙汰ではありません。


さらに魔法少女と冠する作品に対するイメージも払拭されました。

僕の魔法少女と冠する作品に対するイメージは、小さい女の子がみるものから小さい子にはみせてはいけないものへと変化したのです。

しかし、ことが子供に見せて良いものではないという認識におさまっているのならまだ良いですが、こともあろうに、もしかすると自分の守備範囲かもしれない…、と思考するようになったことが問題といえます。

現に僕は《まどマギ事変》後、

魔法少女サイト

魔法少女・オブ・ジ・エンド

魔法少女育成計画

俺とヒーローと魔法少女

とタイトルに魔法少女とつく作品を特に抵抗もなく通ってここまできました。

対した数でもありませんが、特に抵抗もなくというのが、まどマギという作品の持つパワーだったのかと思うと、まどマギ…、恐ろしく思います。

ここまでまどマギの持つ自我を崩壊させかねないほどの危険性を述べてきましたが、決して悪い部分ばかりではありません。

なぜならパラダイムシフトを経験した僕は、上記した通り以前の僕よりも異文化に対する理解が深まったからです。

『魔法少女まどか☆マギカ』が僕にもたらしたものは、言い換えると、やさしさ…、だったのかもしれません。

最後まで読んで頂きありがとうございました。