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この世界が何者かのシュミレーションである可能性

どうもogasawaraです。

みなさんは「シュミレーション仮説」というものをご存知ですか?これは、我々の住まう世界は何者かのシュミレーションしたもの、仮想現実であるという仮説です。もしこれが証明されでもしたら、かつて人類が天動説から地動説へとパラダイムシフトした時と同じくらいの衝撃が走るのではないだろうか…、何それ!めっちゃ面白い!!ということでシュミレーション仮説に対しての妄想を綴ます。

我々の住まう世界はアナログなのかデジタルなのか

デジタル技術の発達により様々な事象を定量化し計算することが可能になりました。でも、その内にふと何かおかしいということに気付きます。上手くいき過ぎている。というのも今のところデジタル量で計算が出来ない物理法則が見当たらないのです。このことから、この世界にそもそもアナログ量なんてものは存在しておらずに全てデジタル量として計算が出来るものなのではないだろうか、という疑問が生まれました。もしかすると世界はデジタルなのかも知れない。つまり何者かのシュミレーションである可能性があるのではないかということです。これを「シュミレーション仮説」といいます。

反証可能性と虚言

「シュミレーション仮説」に対し反論の余地がない訳ではありません。現代科学で説明することが出来ない問題はたくさんあります。代表的な例をとってみると心や魂の問題でしょう。これらは思考と区別すべきものなのか。自律思考型のAIに心や魂があるのかという問は、このブログでも何回か取り上げている哲学的ゾンビの問題とも関係してきます。心や魂の存在が証明され、更に定量化不可能なものだとするなら、即ちこの世界はデジタル量として全てが計算可能なものではないということになります。

でも…、本当にそうでしょうか?

僕の中二脳は、この世界が仮想現実かもしれないという可能性を考えた際に真っ先にゲーム(娯楽)を思い浮かべました。MMORPGを思い浮かべてみてください。哲学的ゾンビや高度に進化したAIはただ思考するだけの存在であり謂わばノンプレイヤーキャラと考えることが出来るのではないかということです。つまり、もし心や魂、または感覚質の様なモノの存在が証明されたとして、それを備えているということは即ちプレイヤーキャラでありこの世界の外から干渉を受けている結果なのではないだろうかという仮説です。

仮想現実であろうと現実

心や魂の存在が証明されたところで物理法則が全てデジタル量で計算可能なのであれば我々の生活するフィールドはデジタルであり。心と魂の存在もプレイヤーキャラとノンプレイヤーキャラの違いでしかない。つまり、事実はどうであれ世界の認識が変われど構図が変化する訳ではありません。どの様な仕組みであれ、この世界は我々にとっては現実です。

素晴らしい世界

とここまで妄想の翼を広げておいて、こういう風にまとめるのもなんですが、この世界がアナログだろうとデジタルだろうと、例え誰かの遊んでいるゲームであろうと、気付かなければどうということはありません。楽しみましょう、人生を。

素晴らしい世界 (1) (サンデーGXコミックス)

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素晴らしい世界 (2) (サンデーGXコミックス)

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